★なぜ足の裏で内臓の調子が分かるのか?★

名前 = KENTARO
性別 = 男性
age = 30to39
メッセージ =
ツボについての質問です。
足裏マッサージなどでよく足の裏で内蔵の調子がわかるといいますがほんとなのでしょうか。もしそうなら、どういったわけでわかるのでしょうか?  
また、鍼灸などで外科的な疾患は対処できるのでしょうか。例えば腱鞘炎など。
質問に答えていただければ幸いです。


こんばんは!
ツボ探検隊のページを開設しております松岡です。 ずいぶん前にご質問を頂きながら、納得していただく説明はどう考えても難しく思われて返信が後回しになってしまったことをお詫びします。では難しいご質問に取り組んで行きましょう!  (さあ、長文メールの始まりです!)

まず最初にご質問の
>足裏マッサージなどでよく足の裏で内蔵の調子がわかるといいますがほんとなのでしょうか。 ...ですが、「ツボ」の存在自体がまだまだ市民権を得ているとは言い難いのが現実ですから、「足の裏」のみならず「耳」だとか「手のひら」なんかで内臓の調子が判るっていうのは、・・
<ほんとなのでしょうか・・と「眉ツバ」感覚でお尋ねになるのも至極当然ですね。 こちらの疑問の方はまさしく国民的コンセンサスに基づいた真っ当な「疑問」だと言えるでしょう。

そして現在においても、ご存知のように、やはりこの疑問に対して万人に説得力を持つ科学的検証がされることはまったく無く、であるからして私も「眉ツバ」説に対しても積極的に「論破」する手段を持ちません。

しかし物事は実際に自分の目で確かめていなくても、科学的に実証されてなくても、我々の頭の中で既定論理を巡らし思考実験を重ねることによって、その存在が「必ずしも否定できないモノ」「存在するにやぶさかでないモノ」か或いは「とうてい考えられない荒唐無稽なモノ」であるかの「推理」「推論」は出来るはずです。

突拍子も無い例えですが、犯罪捜査の場合でも容疑者に確定的な証拠が無い時には多くの「状況証拠」によって、つまり既に確定している一つ一つの関連事実の積み重ねから、その罪を犯すに至る過程が自然で論理的矛盾が無い、イコール犯人の可能性が非常に高いと推察して追求を進めるのは日常的捜査手段ですね。
アメリカ映画ではこんなケースでは「おとり捜査」によって決定的証拠を警察側から演出して生み出す手法をよく描いていますが、現在の私に出来ることは、「状況証拠」的情報を並べて自説を展開しても最終的な判断は皆様にお任せするしかないわけです。

しかし、まあ、事が事だけに問題の核心のみを貫いた整然たる自説展開も難しいので、長文のメールになると思いますが、蛇行を重ね紆余曲折を経ながらも徐々に貴方の「疑問」の溶解に至れば・と願いながら書き進めています。

前振り(言い訳!)が長くなりましたが、ここで発想を転換して頂いて私から逆に質問したいことがあります。

なぜ足の裏に内臓の様子が現れるとおかしいのでしょう?
なぜそれが信じられない事のように感じるのでしょう?

どうですか?
これもまた説得力を持つ説明が出来ないのではありませんか?
今更言うまでもなく「足」は私たちの身体の一部です。決して胴体から切り離された「島」のような存在ではありません。むしろ単に「体」の一部が突出した「半島」みたいなもので、確かに紀伊半島や房総半島のような太短い形ではなくカムチャッカ半島、カルフォルニア半島の様なごく細長い半島ですが、明らかに身体の一部で単に心臓部から距離があるだけです。

ご存知のように
現在では「血液」は個人情報の集積された液体で、人間ドックでも「血液」検査の重要度は増すばかりですが、かつては「血液」に個人差が有ったり、病気がわかるなんて誰も信じなかった時代も有ったのです。
ところが今や30億文字とかいう遺伝子情報:ヒトゲノムの解析もほぼ終結し血液のみならずたった一個の細胞からだけでも詳細に身体状況が分かるご時世です。

具体的にもわずかな皮膚を剥がして採取した体細胞からも同じ人間がもう一人(クローン人間)作れるほどに、身体のどんな一部分もその生命体のほぼ全ての情報を内包している事が現実にクローン生物の誕生によって証明されているのです。これを言い換えると一個の生命(身体)のどんなに小さなパーツの一部(tip)であっても、その全体(whole)を新たに再構築するだけの必要十分な情報を持っているということですね。

最初に「なぜ足の裏で内臓の調子が分かることを不思議に思われたのですか?」・・と逆にお聞きしましたね。
つまり同じ人間の身体の一部分で同じ人間の身体の様子が分かるというのは、ある意味ごく自然な発想である筈なのに、それを不思議に思うこと、信じられないと感じること自体に実は身体に関する何らかの「思想的刷り込み」がいつの間にか我々に行われていていたのではないかと訴えたかったのです。

それが西洋医学的な「独立した個の集合体として成立している身体」という考え方ではないでしょうか?
つまり一個一個の内臓や手足は身体の中でそれぞれが独立した存在であり、それらが集まって一人の人間を形作っているいるという考え方です。
逆に東洋医学的考え方では一人の人間の全身が最低単位の一個ですから、全体(全身)と部分(各組織)は実はまったく同じものです。

例えて言うと、一店で全てがそろった「デパート」と、オーナーが違うテナントショップが集まった「ショッピングセンター」の違いのような感じですね。もちろん東洋医学が考える身体は「デパート」型で、元来の西洋医学の考え方は「ショッピングセンター」型です。
デパートではどの売り場の売り上げも閉店後は一ケ所に集められて集計されます。金庫は一つです。「ショッピングセンター」も各テナントの繁栄がセンター全体の繁栄につながることは確かですが、金庫は一つではないですね。不採算店舗の入れ替えが起こっても他の繁盛店舗には直接的な影響はない。

逆にデパートでは売り上げが落ちた売り場が一つでも有れば即営業成績に響いてきます。ですから何処の売り場でもよいから定点観察(ツボ)をすればデパート全体の成績が推し量れるはずです。この点が東洋医学的なんですね。
「ショッピングセンター」では定点観察のテナントをを何処に取っても必ずしもセンター全体の売り上げ額を繁栄しているとは限りませんね。「足の裏」で全体が推察できるのを不思議に思うのは人間の身体をこの「ショッピングセンター」のような個別集合体だと考えておられるのではないでしょうか?

もっとも今や西洋医学の考え方も分子生物学、遺伝学、免疫学・・ETCの急激な進歩で結果的に東洋医学的生命感に徐々に変わりつつあるようです。おそらく10年も経てば足の裏は言うに及ばず身体の一部で全体が分かると言われても「当たり前でしょう」とばかり誰も疑問に思わなくなるでしょね。

「孫悟空」のお話で悟空の毛を一本抜いてお釈迦様がフッと息を吹きかけると、その毛から又もう一人の悟空が誕生する件がありました。これだって将来は少しも不思議な場面ではなくなります。クローン技術ってまさしくこんな感じですからね。

大事な事柄ですので、もう少しだけ角度を変えて繰り返しましょう。
食事で採った「養分」や呼吸によって得た「酸素」は「血液」に姿を変えて身体の隅々までくまなく運ばれ、全ての細胞を養っていることは誰でも知っている常識ですよね。
その細胞は実は一つ一つが長い生命進化の歴史を物語る「ヒトゲノム」という、その人ならではの個人情報を集積したデータベースなわけです。
そしてそれらの個人データベース(細胞)が集まって出来ている各臓器が働いて作りだした固有の「血液」によって再び全身のデータベース(細胞)群は養われ活性し、破壊と再生が繰り返されます。と言った限りなく閉鎖的な個人データ間の循環運動が営まれているのが「生命活動」という事になりますね。言い換えると私たちの一人一人の身体は各々がオリジナルな「個別閉鎖回路」そのものです。
そしてここが肝心なのですが、その
「同じ閉鎖回路内」では「部分も全体も同じ情報を共有している」はずだと考えても論理的矛盾はないですよね。
足の裏であろうと、目の玉であろうと(虹彩診断法)、手の指(高麗手指診断法)でも何でも、その気になって研鑽すれば全身何処からでも全体を推し量る情報は得られるはずです。

つまり、もしも一個の細胞を事細かに解析するテクノロジーを自前で持っていれば、「足の裏」どころか、身体の「アカ」をちょっとこすり取ってナノテク・スクリーニングにかければ遺伝情報から健康状態まですべて判る時代に成りつつあるのです。
よく偉い人にあやかりたい時に「爪のアカを煎じて飲む」と表現しますが、まさしく「爪のアカ」で必要十分な「偉い人情報」が詰まっている事が判明したのですから、この例えは結構マジであやかれる(良い影響を受ける)可能性を示唆していたのかもしれません。(笑)

しかし、ツボが発見された何千年も昔では、こんな技は使えません。「細胞」などという単位も知らず「爪のアカ」は単に汚いゴミでしか有りません。エックス線も何もない時代では、内臓の様子を外部から探るには、耳、や手足などの周りからある程度独立し、「全身を象徴するまとまった形」を持つエリア(細胞群)が必要だったのでしょう。

そしてここでまた新たな疑問が起こってきます。
全身の情報をチェックするエリアが身体の中心の胴体ではなくてなぜ身体の端の足の裏なのか? と言うことです。

この辺から多少は状況証拠的類推になりますが、モロに内臓近くの体幹部では特定したチェックポイントから近い内臓の機能についてはよく解っても全体の様子は返って分かり難いのです。
もしも「足の裏」ではなく「おへその周りを触ると内臓全体の様子が分かる」。。。と云った方がおそらく一般の方にはずっと説得力を持つのではないかと思いますが、そうは問屋が卸してくれない。

例えば心臓の近くでは心臓からの情報に惑わされ、右わき腹では肝臓の影響を強く受け、腹部中央を探れば胃腸機能に気を取られ・・・とどうしても「木を見て森を見ず」に成ってしまいます。 つまり各臓器がひしめき合う体幹部(胴体)は内臓機能のバランスを客観的に診るには適さないのです。 「渦中の人」には物事の本質(概要)が見えないのと同じです。

この場合は「岡目八目」というか全体を遠目に俯瞰出来る少し離れた所が良いのです。もちろん付近に紛らわしい重要な臓器が無い事が「全体観察」における一番大事なポイントです。

そこで内臓から離れていて、一つのまとまった形状(whole)を呈している「足」や「手」「耳」「顔」などが観察の対象として選ばれます。 全体全身(whole)を表現するには、表現者自体にも全体を表現する「キャンバス」としてのもう一つの完成形「whole」が必要なのです。

しかしそれと実はもう一つの疑問点が有ります。 身体の端っこ、先端部の方が「内臓の強弱」が分かり易い事実についてです。

例えば心臓の機能が数%衰退したとして、直接心臓部分を外から触っても何も変化はないでしょう。
しかし、指先を見れば特に小指の先を見れば爪の色艶や生え際にマイナス変化が明らかに出てきます。舌の色も変わって来ているはずです。本体のわずかな衰えも末端部に向かって先へ進めば進むほど、より明らかに隠しようもなく現れてくるのです。

※これはおそらく重力(引力)が関係しているのだと思いますが、現象は事実であっても原因は定かでは有りません。

ある一つのエネルギーの強弱は核心部よりもどれだけ末端部にまでそのパワーを伝達出来ているかによって推察可能です。人の「きれい好きエネルギー」は玄関で推し量るよりも、人目に触れにくい「押入れ」「冷蔵庫」などの中をチェックする方が確かでしょう? エネルギーが十分で有ればどんな末端の隅々にまでもパワーを伝えているはずですからね。

年齢による内臓の衰え(老化)も胴体(お腹)を見てもあまり分かりませんが、末端の手足や顔(しみ、しわ、色艶)、首筋には隠しようもない変化が現れてきます。年を取るとお腹は景気よく太っても、足は萎えて来ます。手や足で内臓の様子を推し量るのは、上記の如しです。 
つまり 
@各内臓から一定の距離を置き
A影響力が如実に現れる末端部にある事。 
B全身を表現する一つのまとまった形をしている事。・・・が足の裏だったり、手の掌、耳、顔 だったりするのです。

何度も云いますが、もしも十分なテクノロジーが有れば「一個の細胞」「爪のアカ」でも十分な情報が得られるのでしょうから、内臓の影響が現れやすい末端部で診断するのは、あくまで何も無い時代が生んだ「フリーハンド」で行う簡易手段です。 しかしフリーハンドは当然ながら客観性が無く、術者次第で診断に大きな誤差が出ますから、今となってはやはり時代錯誤的代物です。基本的には元気な人が用心の為に足裏診断を用いる程度が無難だと思います。

治療方法はともかく技術革新による現代医学の検査技術の進歩はここ数年でも大変なものですから中国医学(東洋医学)者も現代医学の検査データを用いないとパフォーマンスを上げられない(存在価値を失いかねない)時代になってきました。そこで中国の伝統医学専門病院でも全て検査は最新の現代医学(MRIを置いている中国伝統医学治療専門病院も多い)で行い、治療は伝統的な中国医学(生薬、鍼灸等々)で行うのが一般的に成っています。決して足の裏や耳診断を元に治療行うことはありません。

「足の裏」で身体の調子を知ることは可能であるが21世紀の現在ではまったく実用的でない・・・とまあ、これが私(自説)の結論ですが、貴方の疑問の核心を突き、解決に役立ったでしょうか?

では次のご質問に行きましょう。
<鍼灸などで外科的な疾患は対処できるのでしょうか。例えば腱鞘炎など<
簡単に答えられる質問が一番最後になって恐縮ですが、腱鞘炎は鍼灸の得意分野です。一般に整形外科領域の疾患には鍼灸が高いコストパフォーマンスを発揮する疾患が多いです。それと炎症性疾患は鍼灸の適応ではないという説も有りますが、むしろ私は逆だと思っています。全てでは有りませんが、一般に炎症性疾患での鍼灸の即効性は面白いほどですよ。

最近では息子が家の近くでサッカーをやって遊んでいてシュートした瞬間にバランスを崩して転倒し軸足の足首を捻挫したのです。赤く腫上がった足首の周囲に花を咲かすようにぐるっと鍼を打つと2〜3分後には赤みが消えて腫れが殆んど引いていました。鍼を打っている間にも赤みが見る見るうちに引いていくのが面白いほどでした。
一昨日も私の娘が親知らずが歯茎の下から突き上げて痛くて物が食べられないと半泣きで訴えてきたのです。顎も相当に腫れていました。そこで患部(下あご)に3本と両手の合谷に鍼を打ちました。すると約5分後には痛みが殆んど取れて、ガツガツとご飯を食べていました。腫れ方から察してもっと手こずるかと思っていたので、こちらの方が鍼の威力に驚いてしまいました。捻挫や親知らずの患者さんが真っ先に私どもの鍼灸専門院に来ることはまず無いので、これらは家族ならではの治療です。



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